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正岡子規と夏目漱石

「毎年よ 彼岸の入りに寒いのは」
とは、正岡子規が母との会話から作った句ですが、
今年も彼岸の入りあたりに数日冷え込み、ちょっと上がって、ふたたび雪が降るくらいに冷え込みました。明日あたりから、暖かくなるそうですが。


正岡子規と言うと「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句で有名ですが、これは、親友である夏目漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」の俳句を受けて作ったものだそうです。
おもしろいですね。

子規と漱石は、大学予備門で同級生でした。
漱石は子規に俳句を教わり、文学的、人間的にも、多大な影響を受けたと言います。
同い年でしたが、子規は偉ぶっていて、漱石を弟扱いだったそうです。
でも、きっと、もっとも気の置けない友人だったのではないでしょうか。
子規が支那から帰ったとき、松山で教師をしていた漱石のところに転がりこんで鰻丼を奢らせたエピソード(子規、結核罹患中)や、漱石がロンドンに留学していたころの、子規から手紙など(子規、終末期)を読むと、そんな様子が偲ばれます。


正岡子規は、たくさんの雅号をもっていましたが、この“子規”というのは、結核をホトトギスに喩えた意味です(舌が赤いので、吐血のように見える)。結核を発症した時に、死期を悟ってつけたともいわれています。
別の号でも、さまざまな意味や言葉のニュアンスをもじったおもしろい名前をつけていましたが、“子規”と名乗ったのもまた子規らしいと言えます。

子規のチャートは、
太陽が天秤座で金星合、牡羊座(or牡牛座)月がオポ。
金星は水瓶座木星とトライン。月は木星と60度。
蠍座水星火星合に、冥王星がオポ、天王星がトライン。

太陽は金星や月という女性的な星とのアスペクトがあり、その金星や月は木星とソフトアスペクトの大らかさがあります。
まず楽しいことが大好きな人。おもしろい雅号をつけていたのもそうですし、子どもの頃から新聞を書いていたり、絵手紙を書いたり、野球を楽しんだり(野球殿堂入りをはたしている)・・・。
歌詠みにはセンスが必要ですが、この月金星オポに木星が調亭の形というのは、美的センスを感じますね。“花鳥諷詠”“写生・写実”というのは、この天秤座金星に月や木星が絡むアスペクトだと思います。
一方、外見は子どもの頃から美しいとは言えず、内向的だったりいじめられっ子だったりしていたそうです。このあたりは、蠍座の水星火星合に冥王星や天王星が絡むアスペクトに現れているのでは。
子規の俳句には、恋の歌がひとつもないのですが、チャートを見る限りは、そんなにモテなくもないはずなんですが・・・(やはり幼少期からの虚弱体質と、若くして結核に罹患というのが大きいでしょうか)。
母や妹の律との縁が濃いですので(律は、いじめられた兄の仇を討ったり、嫁から出戻って兄の看病に献身したり)、月や金星のアスペクトは、母や妹を表しているのでしょう。
子規は、“家族の団欒”というのを熱く説いた人でもあります(当時は、そのような概念のない時代)。つまり、家族がひとつのところに集まって食事をしながら雑談をすることの大切さを言っているのですが、このあたりも、子規の太陽金星月木星のアスペクトがよく現れているなと思います。
病床で書いた『仰臥漫録』では、たびたび「三人集いて菓子くふ」と記述があります。母や妹とともに菓子を食べながら他愛のない話をするのを楽しみにしている子規でした。

一方、火星のアスペクトは強面で胆力があります。街頭演説に熱中したり、病床でも俳句分類に情熱を燃やしたりしていました。大変な痛みや苦しみの中にあっても、『病床六尺』『墨汁一滴』などの新聞記事を書き続けた(日本新聞社の社員)というのもそうですね。
言葉には迫力と深みと説得力があります。亡くなる前に書いた『痰一斗』の“絶筆三句”は、まさにこの火星でしょう(極限状態での奮闘。呼吸の苦しさと体の激痛は、最もつらい闘病です)。火星期に入る35歳で亡くなりましたが、健康で長生きをしていたら、どんな活躍をしたのだろうと思ってやみません。

漱石が語る子規像はというと「子規は非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。僕の方がええ加減に合わせていたが、それほど苦痛でもなかった。(子規は)何でも大将にならなけりゃ承知しない男であった。二人で道を歩いていても、きっと自分の思う通りに僕をひっぱり廻したものだ。もっとも、僕がぐうたらであって、彼の言う通りにしていた為であったろう・・・略」とのこと。
でも、漱石は、ただ優しかっただけでなく、ビシッと言う時には言っていたようです。(子規が大学予備門を中退しようというときに、漱石は「鳴くならば満月になけほととぎず」という厳しい句を送ったのも、親友ならでは。)

人好きで広い人脈を作る天秤座太陽金星及び月と木星のアスペクトですが、天秤座というのはある程度以上の線を越えるような深入りを好まないことが多いようです。そつなく幅広く色々な人と親しみ楽しむ子規の太陽や月ですが、それを突き破ってもっとぐいぐい踏み込むのが、蠍座水星火星と、冥王星や天王星が絡むそのアスペクト。

子規には多くの門下生がいました。そのころには、結核が脊椎カリエスへと進行して寝たきりになっていましたが、たびたび句会(学習会)を開いて楽しみました(苦しい闘病の最中でも、陰鬱でなく明るく嘆いていたり)。しかし、親しい仲間が帰ろうとすると、寂しがって「君が帰ると、その場所が空っぽになるじゃないか」と言って泣いたそうです。
苦しい病気の身も相まって、いっそう寂しがりやになっていたのでしょうけれど、そうした執着を見せたのは、おそらく特定の人だけだったのではないかと思います(終末期に手紙を送ったロンドン留学中の漱石、苦しい病床を交代で介護した弟子の高浜虚子や河東碧梧桐など)。


さてさて、次は、漱石のチャートを見てみましょう。
太陽は水瓶座で水星木星合、冥王星とスクエア、蠍座土星とスクエア。
牡羊座月は海王星と合、蟹座火星天王星とスクエア。
山羊座金星はリリスと合で、火星天王星とオポ。

なかなか、波乱に満ちていますね。すべてにおいて。
生い立ちも、月が象徴するように特殊で哀しみや波乱に満ちていますし、人生傾向も、太陽が象徴するように教師や小説家として立派に活躍しながらも、神経衰弱や胃病に悩まされていました。
小説の恋愛面では、金星があらわすように奥手でありつつ三角関係の話が多かったりしています。兄の嫁(亡くなった)に片思い?した体験がベースになっているようですが。

子規が語る漱石像では「僕の親友に夏目と言う才物があるが、どうも本人に野心がなくて困るんだ。執着心がとんとないのでなぁ。」「我が俳句仲間において俳句に滑稽趣味を発揮して成功したるものは漱石なり。漱石最もまじめの性質にて学校にありて生徒を率いるにも厳格を主として不規律に流るるを許さず。」とあります。

漱石の月海王星の優しさと、太陽の立派さ厳格さが良く出ている子規のコメントですね。
学校の先生というのも、太陽からするとうなずけますが、不動の水瓶座に冥王星と土星がスクエアですから、厳しい先生だったのでしょうね。生徒との揉め事のエピソードもあります。

漱石は実家の方でいろいろあり、預けられた先の養父も大変な人だったりして、幼少期の環境はあまり良くなかったようですね。
月も太陽も波乱含みというのは、大きいですね。
「幼少期があまり良くなかった人でも、現在が良ければ生きていかれるけれど、
幼少期と現在ともに良くなかったりすると、大変。」という話を、心理系の授業で聞いたことがありますが、漱石はまさに後者(月が幼少期、太陽が現在)。
水瓶座の太陽は、こじれると神経にきますし、月海王星に火星や天王星がスクエアですので、気迷いは大きいでしょう。怒りや恐れなどの火星のエネルギーが月を攻撃し海王星と絡んだりするわけですから、神経や胃がおかしくならないわけはありません。
そんな中、仕事でたくさんの作品を残し、よく生きたと思います。


子規と漱石の相性を見ると、
太陽同士は風のトライン。子規の方は金星が、漱石の方は水星木星がついている太陽ですので、これがトラインでつながると、とてもめでたい感じがしますね。
子規の月が牡羊座だとしたら、二人とも牡羊座で気が合います。
火星同士もトラインですので、なおさらです。
また、お互いの太陽にAV-Vtラインを乗せていますか。なかなか縁の深いふたりですね。

子規にとっては、太陽や火星をトラインで刺激してくれる漱石は、人生や仕事への意欲を喚起するカンフル剤のような役割だったかもしれませんね。漱石と関わることで元気になって、仕事へ打ち込み、病気の苦しみや痛みを和らげることができたかもしれません。
また、月海王星の優しくナイーブな漱石なら、病床の子規の気持ちを癒してあげることもできたでしょう。
子規が家庭の団欒を説くのも、漱石は心の底からうなずけるものがあったはずです。
子規が偉そうにしてても、子規の太陽や月はソフトですし、火星を発揮していてもイカレた性質のそれではありませんので、漱石にとっては心地よい相手だったのではないでしょうか(同級生ですが、安心して父性を投影できる相手だったのでは)。


今回、ふたりのことを調べていて、さまざまな人物像やエピソードに、いろいろと感じるものが多かったです。
では、このへんで。

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