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2018年1月

ミュゼプラチナムさま『Bice』2018年の12星座占い

ミュゼプラチナムさま社内報『Bice』にて、

2018年の12星座占いを執筆させていただきました!

会員さまメルマガにものせていただきました。

見開きで6ページの大ボリューム。

ありがとうございます。

引き続きがんばります。

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「基本的自尊感情」と「共有体験」

2ハウス、5ハウス、8ハウス、11ハウスは、「自己価値」に関するハウスと呼ばれています。
多くは生育過程において身につけた考え方や感情や行動のクセにともなって形成されていくものですが、では、大人になってから自己価値を高めていくのにはどうすればいいのかなぁと考えていました。
単に、褒められたり、認められたり、賞賛されたりしたからと言って、自己価値が上がっていくほど単純なものではないでしょう。
がんばって成果を上げて認められたとしても自己価値は上がらない。いったいこれは何なのか、どうすればいいのか。
そんなとき、こんな本に出会って目からうろこが落ちました。
Jisonnkannjyou
「幼児期から育む自尊感情-生きる力、乗り越える力」近藤卓 著、エイデル研究所、2015

「自尊感情」とは「セルフエスティーム(self-esteem)」と呼ばれ、一般的には達成したことを認められたり、褒められたりすることで育まれ、何か優れた結果を出して達成感を得ることを繰り返して、自尊感情は高まっていくというふうに言われています。
しかし著者は、「自尊感情」には「社会的自尊感情」と「基本的自尊感情」の2種類あると述べています。

「社会的自尊感情」とは、先の、褒められ認められることで育つ自尊感情。他者との比較により、「できることがある」「役に立つ」「価値がある」「人より優れている」と思うことで高まるもの。しかし、その場の状況や人の評価に左右されやすい不安定なものです。

一方「基本的自尊感情」とは、成功や優越とは無関係に、自分の良いところも悪いところもあるがままに受け入れ、自分を大切な存在として尊重するもの。「生きていていい」「このままでいい」「これ以上でも以下でもない」「自分は自分」と無理なく自然に思えるもの。
この基本的自尊感情こそ、不安定な社会的自尊感情を下でしっかり支え、挫折や困難を乗り越える原動力になるものだと語っています。

自尊感情には4つのタイプがあるそうです。
・社会的自尊感情も基本的自尊感情も大きく安定しているタイプ(何があっても大丈夫)
・社会的自尊感情が大きく肥大化し、基本的自尊感情が小さいタイプ(頑張り屋の良い子)
・基本的自尊感情がしっかり育ち、社会的自尊感情が低いタイプ(のんびり屋、うまくやる気を出せばどんどん伸びる子)
・社会的自尊感情も基本的自尊感情も低いタイプ(寂しくて孤独、自信がない)

ここまで読んでみると、
「社会的自尊感情」は南半球、「基本的自尊感情」は北半球の話と符合する感じですね。

「基本的自尊感情」を育てるには、「共有体験」が鍵になると著者は述べています。
信頼できる他者と五感を通じた体験を共にし、その場その場でともに感じあうこと。つまり「体験の共有」と「感情の共有」。
日常の何気ない共有体験を地道に重ねることで、一枚一枚薄い和紙を重ねて張り合わせていくように、しっかりした土台ができてくるそうです。
子どもの頃なら養育者との関係から作り上げられていくものでしょうけれど、大人になってからでも良く、日々の生活の中で身近な信頼できる人と体験を共有し、いっしょに喜んだり泣いたり、笑ったり苦しんだりという感情を共にしていくと育っていくようです。

北半球を育てる話のようですね。
基本的自尊感情は、共有体験を和紙のように一枚一枚重ねて育つものだから一足飛びではないけれども、一度貼ったらそう簡単には剥がれない強固なものになるそうです。
五感を通じた体験と、そこで引き起こされる感情を、他者と共有する体験を通じて「自分はこれでいいんだ」という確認をしていく。
現代人(子)はその経験が少なくなっていると書いてありますが、とてもうなずけるものだと思います。

まとめると、
「社会的自尊感情(南半球的)」は、自己効力感(挑戦し達成する)や自己有用感自己有能感(賞賛されたり認められたり)を高めることによって大きく育つ。
「基本的自尊感情(北半球的)」は、共有体験(体験の共有や感情の共有)を地道に積むことによって自己評価や自己肯定感や自己受容感が高まり育まれる(さらに基本的信頼関係や無条件の愛+無条件の禁止が必要←これらについては本をお読みください)。
※部活や仕事でのプロジェクトなど、この両方を同時に育てていくことも可能だそうです。

現代は南半球を強めることに人々の注目が偏りがちですが、同時に北半球を育てる機会も求めていきましょうか、というお話で締めくくります。

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不登校について(コツなど)

今年は喪中ということもあって静かな正月を迎えています。
長男は中学まで住んでいた地方の町へ、成人式に呼んでもらって行っている(なんとハガキが来た)。
まるで田舎へ帰省するかのように、友達の家へ泊まってくるみたい(正月からありがたいことです)。
やつは中学生の時いろいろあって1年数ヶ月ほど学校を休んだ経験者なので、正直、向こうの成人式へは行かないのではと思っていました。だけど、きっといろいろ思うところがあるんでしょう。

長男があれだけ中学校を休んでも、普通高校へ進学し(ひろってくれる高校があるものだ)、普通に大学へ進学して、レポート、バイト、サークルなどなど大学生らしく生きているのを見ると、どんなルートをたどってもゴールは同じなんじゃないかと思ったりします。
(これから先どうなるかなんてリスクは、他の子と同じだろうと思う。)
また、不登校で休んでいる間は、ほぼ家でのんびりしていて勉強もしなかったけれど、その後どうにかなっているのは(勉強の抜けはたくさんあるはずなのに)、いったい何なのかと思う(そういう話よく聞きます)。
中学校って、あるいは中学校の勉強って何だろう(いや大事ですけれどね)。

「子どもはお母さんを救けるために問題を起こしているんだよ」というのは、同じ不登校のお母さん(子どもが学校へ行き始めた)から教わったこと。
お母さんの、どんな部分を救けてくれようとしているのかは、渦中にいる時にはわからないのですが、「あっそうか!」と気づくと、不思議と子どもが学校へ行き始めるという、そんな不思議なことが、私にもありました。
それからは(自分が)生きるのも、子育ても、ほんとうに楽になりましたね。
あの子があのまま(苦しいまま)学校へ行っていたら、私も子どもも、今でも苦しいだろうなぁ。

休んでいる間のコツは「お母さんは、親切な下宿のおばさんでいる」こと。
母親だからこの子を何とかしないと…と思うと、間違いなく余計なことをしてしまいます。
いかに余計なことをしないで我慢するか、というのが大事で、そのためには、お母さんの不安をコントロールし(子どもの心配をしないこと)、子どもの成長を信じることが大切(休んでいてもちゃんと心は成長しています)。
あと、お母さんが楽しく生きていること(死んではいけない)。
どんなことが余計なことなのかを知るために(余計なことをすると、けっこう子どものエネルギーを消耗させ、不登校が長引きますから)、また不安をコントロールするためにも、お母さんがカウンセリングを受けた方が良いと思います。

また、学校を休み始めた数ヶ月と、学校へ行き始めの数ヶ月は、特別な対応が必要ですね。ここでこじらせると、親子関係が悪化して長引きますから。
休み始めの時期は、もう「休む」と言った時点で限界なので、快く休ませること。
何日も続いてくると、親の方が不安になって、強引に行かせたり不機嫌になったり、いろいろな強硬策をくだしてしまうものです(まさかと思っても、そういう状況になると多くの人がやってしまうものなのですよ)。
たとえば、よく聞く話では、朝、登校時間になると下痢をしてトイレに籠ってしまう子が多いのですが、「早く出てきなさい!」と言ってトイレの戸をバンバン叩いたり、車で学校まで連れて行って校門前で無理やり蹴降ろして扉を閉めて走り去ったりするとか(そういう家は長引いていました)。
学校へ行き渋ったら、「休んでいいよ(休んでもいいし行ってもいいけど休んだら?というニュアンス) 」と言ってあげるのがベストだと思います。
「元気になった子が家にずっといられるわけがない。」というのが、カウンセラーさんに言ってもらって心の支えになった言葉です(実際そのとおり)。

また、しばらく休むと、ある時「明日学校へ行くよ」と言い出すのですが、ここで喜んだりしないこと(たいてい朝になると起きてきません)。
また、たとえ学校へ一日二日行っても喜んだりしないこと。たいてい、行ったり休んだり(ダラダラやっているように見える)しながら回復していくものです。
子どもの様子によって、親が喜んだり落胆したり浮いたり沈んだりすることが増えますが、その姿は子どもに見せずに、学校へ行っても休んでも変わらず普通にしていた方が、回復が早いように思います。

しかし、そのあたりの事がわからない学校の先生がまだいるもので、「来れるようになったのだから、もう休まず来い(ダラダラやってるんじゃない)。」みたいな対応をされる場合もあるので、このあたりは先生と(親が)ちゃんと話し合う必要があるんですが、「そんな甘やかしてるから」みたいに言われて親のほうもコテンパンにやられてしまう事が多いので気を付けて。
また、学校側とたびたび面談の機会があると思うのですが、必ずお父さん(あるいは誰か男の人)同伴で行ってください。お母さんだけだと、けっこうひどい言われ方をする場合がありますので。
また、本人が学校へ戻りたいと言っている場合は、(いろいろ悔しい思いもするかもしれませんが)学校とは戦わない方がいいように思います。
学校の先生と親がケンカをしたために、学校へ戻りずらくなってしまった話をけっこう聞きます。
こんなふうに常識とは違う考え方や対応のコツがいろいろあるので、その道に詳しいカウンセラーさんなどからアドバイスを得た方が良いですね。(カウンセラーさんにもいろいろなタイプの人がいるので合う人を探して)

子どもたちが故郷のように慕うあの町は、私にとってはただ夫の転勤で15年ほど居住してパートをしながら子育てした場所であり、ほんとうは良い人との出会いがあったし、いろいろ良いこともたくさんあったはずなのに、私の中ではつらいことばかり思い出される場所として存在しています。
子どもが学校へ行かなくなると(たとえいじめの問題でも)、対学校や保護者関係や地域で、どんなことが巻き起こって、どんな立場に立たされ、どんな扱いを受けるのかよくわかりました(一番嫌なのは、味方のように見える人の無自覚な本音がちょっとした言動にあらわれるとき)。
子どもが学校へ行ってたって、ヒドイ家というのはあるでしょうに、と思うんですが。
でも、どんな人が味方になってくれ、どんな人がそうでないのか、見分けがつくようになったかな少し。
何でもなくふつうに接してくれる人がありがたかったですね。
もう7〜8年も前のことなのに、まだ(感情が)成仏していないようで、正月からそんなちょっと薄暗い日記を書いてみました。

いま困っている誰かの役に立てたら幸いです(何かの参考になれば)。

※もちろんケースバイケースです。
(不登校親の会で話し合っていて共通見解されていたものを主に書いています)

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